私とこども

アラフォー。日々の出来事を綴ります。

家事が出来くなった。

2021.6.30仕事を退職した。

心が折れてしまった。

頑張れなかった。

 

今日は退職して5日目だ。

退職の翌日と翌々日は、ずっと眠っていた。

軽いうつ病なんじゃないかと思った。

家事が出来なくなり、人との会話もめんどくさい。

そのくせに身近な人の顔色をうかがってしまうことに気分が左右する。

週末、身近な人と喧嘩をしてそのままだ。

どうするかも考えるのもめんどくさい。

 

今日は退職前に1件、求人応募をした先から書類選考の結果が来た。

問い合わせた日が、最終選考日だったことを無機質な文章から知る。

何で応募を許したんだろう、受付けたんだろうと思いつつ、

そーいうことねとあっさりと受け入れるしかない。

 

すべてにおいてやる気がない。

そう自分で思っているわりには、動ける自分もいる。

今の自分を記録しておこうと思って、ブログを書き始めた。

書類を郵送するために、朝いちでポストへも行けた。

食欲ないけれど、ご飯食べようと思い、昨日なんとか作ったカレーを食べれた。

 

仕事も含め、人生にもいろいろと疲れてしまったから、

しばしの休息時間と思い、こんな自分を許そうと思う。

疲れているけれど何かを生み出さないといけない。泥沼の中から無理やり何かを築き上げる。そんな昨日であった。日々のルーティンワークってすぐに積もる。恐ろしや。

週末は娘とネコ型ロボットのミュージアムへ。前回行った時は保育園の頃だった。当時プレイルームがメインであった娘は、今はもう展示室もゆっくり鑑賞できるほど大人になっていた。娘はそこでネズミ型の宇宙人を初めて知り好きになっていた。まんがコーナーでその作品に触れ、ショップにて購入を検討するほど好きになったようだ。お土産にピンバッジも買っていた。この機会に著者の作品に触れる経験を増やしてあげたいと思い、マンガ購入を検討するためネットへ接続したのに私は今、ブログ記事を書いている。はにゃ。色々と終えたら、散歩がてら近くの本屋さんへ行ってみよう。

文化祭が近い娘はお弁当を持って部活へ。

今日は特別な祝日なのに。

二人でゆっくりその時間を共有したかった。せめて映像録画しておこう・・・。

しっくり

今日のしっくりきたワード。

精緻化リハーサル

 

仕事から帰宅して10分も経たずして、そのまま娘の学習に向き合った自分を褒めようと思う。仕事で疲れているけれど、家庭に帰るとまた次元が違う家事と子育てという仕事が待っている。仕事から仕事へ・・・。そして、また、朝、仕事へ。

学校で習った情報を長期記憶へ移行するには、精緻化リハーサル。

自分のなかで一番しっくりきた言葉。

娘の学習をどげんかせんといかん・・・。

1週間頑張れた、次は3週間、最後は1ヶ月。自分、1ヶ月は何が何でも踏ん張れと思う。だから仕事と家事こなしつつ、娘の学習をサポートしている自分を褒めることで維持しようと思う。

 

20㎝のフライパン

娘が昨日、買ってくれた。

お誕生日が近いということで、「ママ、何が欲しい?」と以前から質問を受けていた。

お高い物から手作りの物までざっくばらんに、度々会話に上がっていたが雑談の一部として終えていた。昨日、ショッピングモールにて、半年前から見ていたフライパンコーナーに立ち寄った。以前から一度は手にするものの決断できずをずっと繰り返していた。メーカー、機能、取っ手の着脱の有無、大きさ、値段・・・。そして結局、今すぐ必要じゃないしなぁ…と思いフェイドアウトする。なのに毎日、台所の前ではこういうときあのフライパンがあったらなぁーとフライパンへ想いを馳せる日々であった。

2年前くらいに鉄のフライパンへ移行してから、今は26㎝の鉄フライパンを使いこなしている。日々育てた鉄フライパンは私の強い味方だ。そんな日々でも、20㎝くらいのフライパンがあったら、副菜などを作るときにちょっちょっと作れて良いだろうなと思うことが多々あった。それで以前からフライパンコーナーに寄っては、これいいな♪あれいいな♪を繰り返していた。

昨日は娘と一緒に見ていて、40%offでとあるメーカーのフライパンフェアに遭遇した。

「えっ?ママ・・・。フライパンでいいの?( ̄д ̄)」そんな娘を尻目に、娘にフライパンを買ってもらえる日がくるとは(*´▽`*)嬉しかった。娘がプレゼントしたフライパンでまた楽しく料理が出来て、二人で美味しく食べれたら幸せじゃないかと思う。

「大切に使うね(*´▽`*)」娘に伝えると、娘も嬉しかったようで二人で幸せになった。

お小遣いを貯めて福沢諭吉さんを大切にもっていた娘が、あっけなく諭吉さんを崩したときは、本当にいいの?とこっちが心配になったけれど、こういうときのためにお金は使うんだよ~♪と軽快に答える娘をみて、大人になったもんだなぁ…としみじみ思った。

95%はまだまだ子供である娘の5%を垣間見たよう。

買い物と疲れ

昨日の夕方、食材を買いにお店へ行った。

明るい照明、輝く床、賑やかな音楽、多数の人。病院での静寂な入院生活とは対照的でそれだけで疲れてしまった。冷蔵庫が空っぽなので、あれこれ買ったら5000円弱使った。娘が好きな生ハムとブロッコリースプラウト巻を作るため、生ハムは購入したのに、ブロッコリースプラウトを忘れたりした。ボケボケしながら、人ゴミのなかをカートを押して買い物するだけで精一杯だったらしい…と帰宅後気づく。

夕ご飯の鶏の照り焼きを作りながら、1人であることが突然辛くなる。離婚後14年経った。強くもなったし、結局1人でいることが一番、リラックスを自分にもたらせてくれる。支えてくれる人もいる。入院しているときはお見舞いにも来てくれた。しかし突然、心底1人なのだとよく痛感する。それを昇華するために、支えてくれる人に鶏の照り焼きの過程を写真で送る。自分の生活を見守ってくれる人、それを受け止めてくれる人がいる。それだけで何かが和らぐことを知る。「疲れた…」その一言を送っただけで、照り焼きに添える温野菜を作る気になるのだから、我ながら単純でよかったと思う。

汁物は既製品に頼ったが、娘からはまずいと言われてしまった。お味噌汁とご飯とおかず一品あれば、とりあえず何とかなると小さい頃の娘を前にしてよく思ったものだ。それは13年経った今も継続しているが、お味噌汁だけは手を抜いちゃいかん・・・と我が教訓(もはや家訓になりつつある)となっているのに、分かっていながら既製品に頼った自分に対して、何故か損をした気分になった。既製品も高かろうに…その値段で美味しいお味噌汁が作れただろうに。その過程へ移行できなったそれが、食卓に上がった「まずい」に集約されているような気がした。私が疲れていることを知っているお味噌汁好きな娘は、それでも食べていたが、ひとつの既製品を二人で半分こして食べている私も、それは口に合うものではなかった。二人とも具材だけ少し食べて、汁は飲まなかった。

療養期間

9月下旬、手術をした。

経過観察もしくは手術の選択肢があったが、精査の結果、悪性が否定できないことから手術を選択した。前日まで仕事をしていた事が良かったのか、色々と考えずにそのまま手術日をむかえた。全身麻酔を初めて経験した。

一番辛かったのは術後のHCUにいたときだった。麻酔の副作用か…吐き気に苦しんだ。術前・当日と食事制限があり胃の中空っぽなのに、吐き気だけで身体が一番辛かったときだった。繋がれている点滴から吐き気止めを投与された後、気づくとまた眠っていた。側にいる看護師さんが色々とケアしてくださるなか、看護師さんってすごいな…。ありがとうと思っては、また眠りについていた。吸い飲み器の便利さに人生初めて気づく。

術後は日常できていたことが、不都合になりしばらく自宅療養中。

10月中旬から仕事復帰を予定していますと上司には伝えたけれど、大丈夫かな…?と思いながら、活動量を徐々に上げていくために、昨日は部屋の押し入れのごちゃごちゃを成敗した。

  

 

追記:ヤフーブログ廃止に伴い引っ越してきました。よろしくお願いいたします。